ゲームを愛するが故にーコラム的なものー

※本記事はゲーム運営、ユーザーに対しての私の意見であり、手法や悩み解決を取り扱った記事ではございません。

最近、ソーシャルゲームの勢いが止まりません。

個人でも頑張れば参入できるほど、敷居の低い市場で、また、お金の流れもできやすいこの市場に各企業が参入している状態です。

しかし、ユーザーの評価はあまり良い意見が見られず、ソーシャルゲーム側の立ち振る舞いが疑問視されている昨今でもあります。

今回はそんな現代の象徴ともいえるソーシャルゲームについて、ゲームを愛するユーザー視点でお話をしていきます。

!閲覧注意!

これより、人によっては不快な内容が含まれます。

ご理解いただける方のみご覧ください。

 

ソーシャルゲームへのユーザーの評価

ソーシャルゲームの運営方法で一番多い形態は、基本無料のゲーム内課金かと思います。

基本無料でプレイが出来るのですが、実際の通貨でゲーム内通貨を購入し、ゲーム内で使用するというパターンです。

このゲーム内通貨で一定時間で出来るゲームの量を増やしたり、良いアイテムを購入、くじ引きをしたりすることが出来ます。

また、ゲーム内でのステータスを得る為に、同じステージを繰り返させたり、難易度の高いステージを用意したり、まさに修行と呼べるものもあります。

そして、このシステム自体がユーザーからの不評を買っていることが多いのです。

 

ガチャの中毒性と課金による搾取

ほとんどのソーシャルゲームでは、ガチャといういわゆるくじ引きによって、良いキャラクターや装備などを手に入れるシステムを採用しています。

そしてこのガチャが非常に中毒性の高いものとなっており、一時期問題にもなりました。

やはり、欲しい装備やお気に入りのキャラがいれば、

あともう一回、あともう一回だけ!

という思考になりやすいのですが、当然、確率の壁はありますので、出ないことのほうが多いでしょう。

そして狙ったものが出るまで、またはお金の許す限り課金をしてしまうのです。

その射幸心を煽る性質ゆえに、今ではその確率を表示したり、年齢を自己申告することで使い過ぎを抑制したりと対策も取られています。

しかし、やはり人の欲望を突いたものであることは間違いなく、このシステム自体がユーザーからお金を搾り取るといった意見が多く聞かれます。

 

イベントの周回、高難度ステージなどのゲーム性

ゲームをするユーザーは一体何を求めてゲームをするのか?

一概にコレ!とは言えませんが、ガチャで得る以外は主に

・人との差による優越感

・一緒にすることの連帯感、共通の話題作り

・ミッションを達成した時の達成感

などが挙げられるでしょう。

そして運営側はこのユーザーの欲望を利用しユーザーを釘付けにするためにイベントを開催します。

一つは何度も何度も同じステージをし、目的のものやポイントを一定数集めるというものです。

これは「周回」と呼ばれるものなのですが、集める数が非常に多く、修行のような内容になっていることが多々としてあるのです。

故に、他のゲームをやっていたり、仕事の合間にしているようなユーザーには非常に辛い、もしくは出来ないようになっているのです。

もう一つは、非常に攻略が難しいステージなどが開催されたりするのですが、先ほど挙げたガチャから得られる強いキャラなどで行かなければ非常に難しい作りになっているのです。

当然、無課金などであまりキャラなどを持っていないユーザーや、やり始めのユーザーにとっては非常に厳しいイベントになるのです。

 

基本無料という罠

前述した通り、ソーシャルゲームではプレイは基本無料というスタイルが非常に多いです。

ですので気軽にインストールしてしまい、ゲームの深みにはまってしまうのです。

もし無料で無ければ、ガチャや周回などやる必要もなかったのです。

無料という甘い言葉を武器に、ユーザーに課金させようとイベントを開くのです。

 

この3つについて書いていることを読んでお判りの通り、一部のユーザーに対して不公平であったり、ハマりやすいシステムになっているのです。

 

 

 

 

という前振りなのですが、

果たして本当にソーシャルゲーム側の問題なのでしょうか?

 

ゲームの問題点について

前述の書き方を見ていただければ、いかに運営側が悪いのか、というような書き方になっています。

この書き方は不満を持っているユーザー視点の書き方になっています。

では一つ一つ、不満と言われる部分ですが、逆である肯定的な視点で書いてみましょう。

 

ガチャというシステムについて

不満点の第一位ともいえるでしょう。

レアなキャラは大体0.5~1%程度の確率ではないでしょうか?

つまりは100回~200回回して当たるかどうかの確率なのです。

その当たり前レベルのことに対して、

20連しても当たらなかった!詐欺だ!
50連しても目当てのキャラがでなかった!金返せ!

なんて喚いて運営を叩くのは非常にナンセンスで醜いものです。

確率が低すぎる!もっと確率を上げろ!

レアなキャラとは確率が低く、持っている人が少ないからレアなのです。

皆持っていたら価値が下がってしまう上にゲームのバランスが崩れてしまい、ゲーム自体を崩壊させます。

結局のところ、ゲームの寿命を短くしてしまうのです。

 

自分の運が良くないことに対して、それを人のせいにして自分勝手な要望をする。

どんな教育を受けたのでしょうかね?

 

射幸心を煽る?

いやいや、自己責任でしょう。

自らゲームの世界にやってきて何を言うのですか?

子供が?

自分が子供に教育できていないのを棚に上げるのですか?

 

よく考えてみてください。

ゲームへの課金という行為は、全て自分の手で行っているのですよ。

運営サイドはサービスを提供しているに過ぎません。

どこにも非は無いのです。

非が有るとすれば、それはユーザー自身の非なのです。

 

周回システムと高難度について

周回システム

そのゲームを愛し、長い時間をつぎ込んでいる人が居ます。

その時間を使うユーザーに対して差別化、時間に見合った報酬を提供する。

当たり前の話です。

また、努力や辛さを乗り越えて得たステータスには満足感、達成感が伴います

その長い時間で修行のようなシステムを導入することは、達成感を得る為に用意した運営サイドの楽しませる仕組みの一環なのです。

高難度ステージ

ゲームにおいて、如何に攻略するか?

ゲームをする根本ともいえるものです。

高難度ステージはその根本に答える存在です。

当然、課金などで強いキャラを持っている人には有利になるでしょう。

 

当たり前です。

お金を払っているのですから。

 

しかし、ゲームの中にはお金を掛けなくても強いキャラを手に入れたり、協力出来たりして一種の救済は考えられているはずです。

また、難度を高くするのも、簡単にクリアできないようにするという周回と同じ考え方のものなのです。

自分の腕が足りないことをゲームの所為にするのは如何なものでしょうか?

システムについて

こういう周回や高難度などの一種の負荷は、達成感やステータスによる優越感、満足感を与え、面白いゲームにする為に必須のことなのです。

考えても見てください。

簡単に、短い時間で達成できるものにどれだけの価値があるのでしょう。

そんなゲームに面白みがあるでしょうか?

簡単にクリア出来るのは、クソゲーの定義の一つです。

故に簡単にクリアできるようにしろと要望するユーザーもまた、クソユーザーなのです。

 

無料というやり方について

確かに無料という言葉は強いです。

しかし、実際に無料です。

そこから先はユーザー自身が決めることなのです。

 

無料であるからこそ、ユーザー自身がするしないを決められる。

これほどお得な事はないのではないでしょうか?

無料なのに課金しなけりゃ強くならないじゃん!

本当にそうですか?

時間を掛けて努力すれば強くなりますよね?

確かに課金をすれば強くなる時間は短くなります。

しかし、その課金分はどこかで誰かが努力して得たお金のはずです。

 

課金は卑怯という訳の分からない戯言を言う輩がいますが、お門違いです。

ゲーム内で苦労するか、実世界で苦労するか。

なんの苦労もせずに強くなろうなんて、それこそ卑怯だと思いませんか?

ゲームを続ける為に

とにかく、批判を重ねる人が多すぎます。

どこかの政党、どこかの国のようです。

課金していようが、無課金であろうが、運営に対して批判ばかり言うユーザーは本当のユーザーとは思いません。

 

言いたいことも分からなくはないです。

  • もう少しこうしたら。
  • ここをこうした方が。
  • もうちょっと当たったら良いのに。

なんて考えるのは当然のことです。

しかし、多くのユーザーがいる中、100%全ての人が納得するようなゲームにするのは100%無理なのです。

このことは余程のことが無い限り理解できると思います。

 

運営会社も企業であり、お金儲けです。

だからこそ質の高いサービスを模索し、私たちユーザーに楽しんでもらい、お金を使ってもらう。

 

運営とユーザー、ユーザーとユーザー、お互いが良い関係になるからこそ、そのゲームの発展があるのです。

お互いがお互いを尊重し、マナーの良い場所を作っていき、少しでも長く好きなゲームを続けていきたいものです。

 

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